月別アーカイブ: 2016年5月

映画「みんなの学校」観てきました!

こんばんは。

昨日は、友人が企画した映画とパネルトークを観てきました。

 

 

みなさんはもう、知っていますか?

「みんなの学校」という映画を。

 

 

全国各地でも今上映されたり、この映画の舞台となった「大空小学校」の初代校長先生、木村泰子先生の講演が、開催されているそうです。

 

私は実は「きっとこんな感じだろう」と予想して行ったのですが、もうそんな予想、思いっきりぶちのめされて、涙ボロボロ、もう感動の嵐でした。

 

 

私、実は元公立保育園で保育士をしていました。

 

 

その間、私は「統合保育」の指定保育園にも勤めていたので、大空小学校のように、障がいのある子も、家庭や家族に色々な事情がある子もたくさん通っていました。

その時の光景が、いくつも重なって、できていたこと、できていなかったこと、もっとこうすればよかった、といろんな想いが込み上げてきました。

 

 

子どもがね、自分を変えたいと心から思って、涙を流しながら、それを声にする場面があるんです。

 

 

子どもってみんな本当にピュアなんです。

 

何か上手くいかないことをしてしまうことって、誰だってあるでしょ。

 

でもその行動には必ず何か理由があるんです。
それにちゃんと耳を傾けていないのはオトナだし、オトナが決めた枠組みの中に、すべての子どもをあてはめて見ようとするのも私たちオトナなんですよね。

 

 

それを再び教えてくださった木村泰子先生は、本当に素敵な人でした。

 

 

本当に深い愛を持った人でした。

 

 

私も短大時代、保育を学んでいた時に木村先生のような深い愛を持った先生方に、出逢っていたことを思い出しました。
でも実際、保育士になって、現場で求められたことは、昨日木村先生が言っておられたこととは全く違うことでした。

 

 

いかに1人でクラスを回すか。

 

理想としていた保育士と、求められていること、できる保育士の意味は、全然違いました。

 

 

自分のクラスの子どもを守っていくために、保育士を続けていくために、強くなり、タフになり、泣かなくなり、ええ、もう、中堅のころは幼児100人一度に見ることはできるようになりました…。

でも、そんなの、本当に誰かのためになっていたのかな。

 

 

実は、このブログ、昨日書きだして、だんだん過激な保育園の暴露本になってしまったので、それは削除(笑)

私が本当に書きたかったことは、そんなんじゃないと書き直すことにしました。

 
木村先生、こんな先生に、もしあの時私が出逢っていたら、また全然違う人生を送っていたのかなぁ。
でも、今そんなこと考えたってしょうがない!

 
 
大事なのは、今私ができること

 

これから私ができること

 

人は特別な人間なんていない

 

いや、みんなが特別な人間

 

人が変わる理由は、出逢った人

 

そしてその人の「愛」

 

自分を変えてくれる人に出逢えないと悲観するよりは、これから自分が誰かを幸せにする「愛」を持てたらいいな

 

みんなが愛を持って生き、愛を持って人と接したら、未来はきっとすごく素敵になると思う。
今日から私が始めるひとつのことがあるとするならば、私は「愛」を持って生きたい
そう思いました。

 

 

「みんなの学校」まだ見ていない方は、是非、どこかで観られるといいと思います。

木村泰子先生は、映画の中以上に素敵な方でした。

 
 
もし、私がもう一度この映画を観る機会があるとしたら、今度は旦那さんや子どもたちにも絶対見せたいなと思います。


肝っ玉母ちゃんどこ行った?

おはようございます。

昨夜ブログを書こうとして、暗礁に乗り上げて、そして今朝、もう一度続きを書くことにしました。

 

 

最近、ブログを読んでくださってる方に、家族会議の事を聞かれることがあります。
「そろそろブログをちゃんと読みやすいように整理しなきゃなぁ〜」と思い、6年前のチビっこ記事を読み返し始めました。

 

 

「チビっこ記事」、この6年で230件程になっていて、ブログの整理は、少し時間がかかりそう。
そんな中、5年前の記事を見ていて涙が出てきました。

 

 

5年前というと、長男が1年生、次男が年中さんです。

 

 

あの頃から、我が家のムスコたち、ちょっぴり変わり者でした(笑)
そりゃそうだ!

こんな親だもの(笑)

 

 

その頃の投稿には、旦那さんと夫婦会議をして、「どんな子に育てたいか」を共有し、「そのために私たちは何をしていくのか」をちゃんと話し合ったことが綴られていました。

今でも、子ども達のことで悩んだ時は、いつも必ず夫婦で相談して、「どうするか」を決めるのではなく、「私たちはどういう支援をし、どういうスタンスで行くのか」の軸を決めてはいるんです。

 

でも、今の私、どうなんだろうって、考えてみました。

 
5年前、私は長男の個人懇談の後、「肝っ玉母ちゃんになる」と心に誓ったのでした。

過去記事

 

 
あれから5年。

長男は6年生になりました。

 

 

テキトー2年生、ハチャメチャ3年生、落ち着いた4年生、心の葛藤5年生。

ぜ〜んぶ乗り越えて、只今ちょっぴり反抗的な6年生。

 

 

友達関係も複雑になってきました。

それでも子どもたちの芯も、親の心の軸も、変わっていないつもりでした。

 

 

でも、ここ最近、親子喧嘩が多いんです。

宿題?

忘れモノ?

そんなことでは、動じません。

 

 

でもね、次男との関係、次男への対応、八つ当たり、そういうことから母の怒りは爆発していました。

 

 

でもそれは、「怒り」と思っていたけれど、本当は、勝手な親の「不安」だったことに、過去のブログを読んでいて気がつきました。

 

 

長男はなんだかとってもイライラしてて、次男に対して思いやりがない

 

ふたりで遊べば意地悪をする

 

次男の前でズル、自慢、命令

 

友達にもそうなの?

 

だから友達とも上手くいかないのよ。

 

でも上手くいってほしい。

 

幸せになってほしい。

 

そういうことだと、これから困るよ。

 

もっと思いやりをもって。

 

周りの人のことも考えて。

 
って。
 
でも、そんなこと、親が不安に思って、叫んだって、なんの意味もない。

 

ただただ、長男を否定するだけになってしまって、それじゃあ長男のことを1番わかってあげてる応援団になんてなれやしない。

 
 
そう気づきました。

 
 

私だって小6の時の友達関係なんて、ひどかった。

心の中はモヤモヤだった。

友達に対する自分の想いと、友達の自分に対する想いを天秤にかけて苛立って。

私のやたら強い正義感と、なんとなく流れていくクラスメイトたちの雰囲気とのギャップ。

もがいてももがいても上手くいかないけど、親にも言えない。

友達、先生、部活、どれも上手くいってないのに、親には言えない。

 

 

そんな時、あの時の私だったらどうして欲しかっただろう。

 

八つ当たりする自分を、黙って見守ってほしかったかな。

 

くだらないわがままも、笑って見守ってほしかったかな。

 

イライラする自分も丸ごと全部、信じて応援してほしかったかな。

 

今の母ちゃん、どれも全然できてない…。

 

 

ごめん。

慌てすぎた。

もっともっと長男の成長信じて、今のそこにいる長男を応援してあげればよかった。

 

そう思いました。

今の私、全然肝っ玉母ちゃんじゃありませんでした。

長男が成長してないんじゃなくて、母親としての私が全然成長してなかったんです。

 

 

もっともっと、強い肝っ玉母ちゃんになる!

今の息子達を丸ごと信じて応援できる母になる!

 

 

親って、いつも目の前の今、思いやりのあるいい人間を求めちゃうけど、人間なんて、そう簡単にはできないもんね。

だいたい私も35歳までは酷かったし(笑)

 

 
というわけで、今日はもう一度「肝っ玉母ちゃんになる宣言、第2弾!」

そんな記念日にしたいなと思います。