こんばんは。
久々の投稿になります。
実は、この3月13日、実父が他界しました。
長い闘病生活で、最後の1カ月ほどは、身体の痛みでベットに横になることもできず、ぐっすり眠ることもできなくなっていたので、ようやく痛みから解放され、ゆっくり眠ることができるのかなと、祈る想いでいっぱいです。
今日は、私の中で、気持ちを整理するため、私ごとを長々と書いてしまうかもしれません。
どうぞ、長文になることをお許しください。
父は私が中学3年生の時に、初めて心筋梗塞を起こしました。
その後も手術やカテーテル、入退院を何度も繰り返しながらも、自分が創業した会社を懸命にやってきました。
数年前には脳梗塞で倒れ、インシュリンを打ちながら、
1年前からは週3回、4時間の透析にも通っていました。
いつもいつも、辛抱強く、前向きで私たち家族を心配させまいと、弱音を吐かない父でした。
しかしこの冬辺りからは、右足が壊死し、その痛みたるや本当に耐え難いものだったようで、見ていた母と私はとても心苦しい思いで見守ってきました。
父は、お医者さんには、何度も余命宣告をされながらも、その余命を飛び越え、お医者さんをびっくりさせてきました。
そんな父の生き方そのものが、私にたくさんのことを教えてくれました。
父が亡くなって告別式まで、たくさんの方が、父との思い出や、父への感謝の気持ちを、娘の私に聞かせてくださいました。
「昔お父さんに、よく山に連れて行ってもらってね。本当にお世話になりました。」
「お父さんは、小さい頃、本当に可愛くてね、いつも先生が赤ちゃんのお父さんを抱っこしながら授業をしてたのよ。」
なんて、私の知らない父の話を聞けたこと、とてもうれしかったです。
そして「日本の父だ」と言って、韓国から駆けつけてくださった韓国のお客さま、
東京、大阪から来てくださったお客さま、
そして多くの父の仕事で関わってくださった方々や友人の方々を拝見し、父の仕事に対する熱心な筋の通った生き方や、人との繋がりを大切にしてきたひととなりに、私は脱帽しました。
私も、いつか、父のようになれるんだろうか。
そう思うと、私は父への尊敬の念でいっぱいになりました。
そして母に葬儀の後聞いたのですが、父は最後に、最高のプレゼントを母に残して逝ったそうです。
それは、母への手紙でした。
私はその大切な手紙を読ませてもらいました。
「〇〇〇〇様へ」
と母の名前が書かれたその手紙には、母への感謝の気持ちが便箋4枚に渡って綴られていました。
私は父の書いた手紙を読むのは、初めてでした。
普段は感謝の言葉なんて、家族に向けてそんなに頻繁に言う人ではなかったのに、手紙の中には母と結婚して46年間苦労をかけてきたことや、3人の子どもを立派に育て上げてくれた感謝の気持ち、長年の自分の介護への労いと感謝の言葉がたくさん込められていました。
75歳にして、こんな風に素直な気持ちを、ちゃんと伝えるべく人に最後に伝えていくことができる父は、最高に素敵な人だなと思います。
そして最後に、夫婦が夫婦となって行く姿を、そして夫婦の本当の絆というものを、教えてくれた父と母に、感謝の気持ちでいっぱいです。
お父さん、41年間、たくさんのことを教えてくれて、見守ってきてくれて、本当にありがとう。
そして、おつかれさまでした。
そして長い間、父を、そして父の作った会社を支えてくださった多くのみなさま、本当にありがとうございました。
みなさまに支えられた父は、とても幸せな人生を送ることができました。
父に代わって、お礼を申し上げます。
また、3月13日以降、Nijiiro Lampに携わる方々やお客様、生徒様にも、私の事情で大変ご迷惑をおかけしましたことを、ここでお詫び申し上げたいと思います。
突然のお願いにもかかわらず、色々ご理解、ご協力をいただきましたこと、本当に心から感謝致します。
ありがとうございました。
ここしばらくは、実家の方へも顔を出しつつ、色々家のこともしながら、ゆっくりゆっくり、また仕事の方へも徐々に戻ってまいりたいと思います。
どうぞ、今後ともよろしくお願い致します。
どうもありがとうございました。