父とおじいちゃん

こんばんは。

先日、父と母を駅まで送った日のこと、父が杖をついて歩く後ろ姿を

見ながら、父方の祖父、私のおじいちゃんのことを、ふと思い出しました。

おじいちゃんは、私が小学1年の冬に亡くなりました。

私の記憶の中にあるおじいちゃんは、たぶん私が年長の頃から

亡くなる少し前までです。

おじいちゃんは、その頃私たちが住んでいた場所から、歩いて10分ほどの

ところに、父のお兄さん家族と一緒に住んでいました。

父は7人兄弟の5番目で、男兄弟の中では1番下の子でした。

おじいちゃんは、そんな父のところへ度々杖をつきながら歩いてやって来ました。

おじいちゃんの足だと、きっと30分位はかかっていたんじゃないかな…。

それでも、歩いて来ては「OOO(父の名前)、まぁ~死ぬ。まぁ死ぬで、

どっかドライブへ連れてけ」これがおじいちゃんの口癖でした。

その頃父は自宅の隣で小さな工場をしていました。

今考えれば、父も仕事があったろうにと思いますが、父はいつも何も言わず

そんなおじいちゃんを車に乗せ、母と私を連れだってドライブへ

連れて行ったのでした。

ドライブと言っても、どこか目的地があるわけでもなく、どこかで休憩をとる

わけでもなく、車は山道を巡り、ぐるぐるグルグル走りまわって、

途中五平餅や大判焼きを買って、おじいちゃんを家に送り届けて家に帰る。

これがお決まりのコースでした。

それでもおじいちゃんがとても満足そうな顔をしていたのを、私は

覚えています。

今考えると、父は親孝行だったんだなと思います。

父のそんな姿を見ることができた私は、幸せ者です。

そんな父は、私が中学生の時に心臓の大手術をしました。

後で聞いた話ですが、あの頃の手術で心臓がこんなに持つなんて、

運がいいとお医者さんに言われたそうです。

その後、イイ主治医の先生との出会いもあり、10年前に順天堂大学で心臓の

手術を受けました。

執刀医の天野先生は天皇陛下の心臓手術の執刀医でもあります。

父の主治医の先生が、何でも諦めないでチャレンジしてくれる先生だったので、

面識もないのに天野先生に父の手術をメールで頼み込んでくれたのでした。

それから数年後、心臓にペースメーカーを入れました。

なので、父は電子レンジを使うことができません。

時々、母が不在の時には、「お~い、そうめんゆでに来てくれ!」とか

「お~い、ラーメン作ってくれ!」と電話が鳴り、私は仕事をおいて父のところへ

車で出かけて行きます。

そんなことが心の負担にならないのも、きっと父が私に親孝行する姿を

見せてくれたからなのかもしれませんね。

仕事の手を休めて遅れた分は、いつもよりちょっと夜がんばるとか、朝早く

起きればなんとかなります。

お金がなくても親孝行はできるんですよね。

その時できることをする。

もしかしたらそれだけで、親孝行できなかったと悔いることを少しでも減らせる

かもしれません…。

そんなこんなでしょっちゅう入退院を繰り返している私の父は、今夜もあたたかい

病院のベットで寝ています。

今、私ができることは、退屈な病院生活を覗きに行くことと、おチビちゃんの

顔を見せること、そして私がイキイキ生きることかな。

今夜はたくさんの心に染みる思い出をくれた、父とおじいちゃんに感謝して

眠りたいと思います。

イイ夢見れるかな 寝る ありがちなキラキラ ありがちなキラキラ ありがちなキラキラ


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