言葉にならないたくさんの気持ち

こんにちは。

今日はちょっと、長いお話をしたいと思います。

今年の夏、50年以上続いた一軒のお豆腐屋さんがお店を閉じました。

ある日突然、病気を告げられ、店主は「入院を1日だけ待ってほしい」と

お医者さんに頼んだそうです。

最後にお豆腐を作って,、これまでお世話になったお客さんに感謝の気持ちを

伝えたいと、いつものようにラッパを鳴らしながらまわったそうです。

そして最後の日、50年以上ずっとお豆腐を作り続けた場所を、自分で片付け、

病院へ行きました。

実はこのお豆腐屋さんの店主は、私のおじです。

父の一番上のお兄さん。

父や母は、私が小さい頃から、「家が今あるのは、おじさんのおかげ。

おじさんが豆腐を売って、末息子だったお父さんを高校に行かせてくれた

から、お父さんの今がある。

おじさんには決して足を向けて寝られない。」と聞かされてきました。

学生の頃は、父も豆腐の配達をよく手伝い、豆腐を崩すとそれがいつも

晩ご飯になったんだとか。

だから、父は決しておじさんの作ったお豆腐以外は食べません。

そんな話を聞いて育った私は、言葉数は少ないけれどそんなおじさんが

大好きでした。

そして、そんなおじさんと結婚したおばさんは、いつでもどんなときでも、

笑顔を絶やさない人で、話しをするといつも元気をもらえる、そんな人でした。

父は私が中学生の時に心臓の大きな手術をしました。

母の実家は青森、兄は大学生となり横浜へ行っていたし、たぶん私一人じゃ

何の役にもたたず、さぞかし心細かったかと思います。

その時もおじさん夫婦が母を元気づけ、あたたかく見守ってくれたことを

今でもよく覚えています。

そんなおじさんが、今度は病気になりました。

父は一時退院した時に、おじさんを大好きなうなぎ屋さんへ連れて

行ったそうです。

それからまた入院して数か月、おじさんはだんだん食べ物がのどを通らなく

なりました。

そんなある日、おじさんは突然、父と行ったあのうなぎが食べたいと

言ったそうです。

”まだ何かしてあげられることがある”、きっとそれが父の喜びだったと思います。

翌日、私は父をそのうなぎ屋さんへ連れて行き、うなぎを買って、一緒に病室へ

届けました。

父が来たことを知ると、おじさんは身体を起こしてもらい、「いいにおいがするな。」

そう言って、うなぎを自分で口に運びました。

ここ数日、何も食べれなかったおじさんが、父が持って行ったうなぎを

食べてくれました。

父も、おじさんも、言葉はそんなに交わしてないのに、私は一緒にそこに

いるだけで、とても温かい気持ちや繋がりに触れたような気持ちになりました。

”気持ちは言葉に出さないと伝わらない”とよく言います。

でも、父とおじさん、おじさんとおばさん、そしておじさんとおばさんを支えている

いとこのいるこの空間には、たくさんの言葉はいらないんだと思いました。

最近、よく思うんです。

父はおじいちゃんやおじさん、それからたくさんの友人に愛されてきた人

なんだなって。

私の記憶の中で残る、ほんのちょっとのおじいちゃんとお父さんの思い出も、

お父さんがおじいちゃんから愛されていた思い出しかありません。

たくさんの人に愛された父は、とても強くてやさしい人です。

仕事で大変な時も、何度も大きな手術をしても、病気で苦しい時も、私は

父の後ろ向きな言葉を聞いたことがありません。

「もうすぐ良くなるからな。」「大丈夫、大丈夫!」「すごいだろ!この手術の跡!」

私はおじさんやお父さんが伝えてくれた大切なこと、どれだけおチビちゃん達や

周りの人に伝えることができるだろう。

家族を大切に想う気持ち。

一言では言い尽くせない感謝する気持ち。

言葉ではない、もっと大切なもの。

おじさんは今、病気だけれども、毎日家族に囲まれて、感謝する兄弟に

囲まれて、とても幸せな時間を過ごしているように私は思います。

幸せのカタチは様々だけど、どんな風に生きたら、おじさんのように

愛される人になるのか、私は教えてもらったように思います。

ありがとうございました。

私ごとの話だったのですが、今日はおじさんに私のありがとうの気持ちを

綴りたくて、この場所をお借りしました。

長い話にお付き合いくださった方、どうもありがとうございました。

私もおじさんのように、誰かのために自分ができることを、そして

おばさんのように、笑顔や笑いでたくさんの人を元気にできる人になりたい。

そう思います。


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